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人生初の、結婚披露宴での「友人スピーチ」

人生初の、結婚披露宴での「友人スピーチ」に臨みました。

 

私は、友人の誰にも知らせず、友人の誰も招待せず、勝手にミャンマーで結婚式を挙げた人間なので、友人から結婚披露宴に呼ばれるというのは、非常にありがたく、また貴重なことなのです。

 

悪友のしでかしてきたさまざまな列伝を思い出し、またそこにいた10数年前の我が身の未熟さを鑑みて出たのは、「ひとは成熟するんだなあと」というセリフでした。「一番成熟して、いいタイミングで結婚できたことを、嬉しく思う」と。

 

列伝を開帳せず伏せておく難しさよ。それだけ悪友の様々な苦労や発展の時に立ち会ってきたと言うことでしょうか。間違っても「中学のとき⚫️引きしてたな」「高校のとき、、」など言えない祝宴であります。

 

最近の若者は成熟が早く、はみ出さずに活躍しようとしているのではないか、なんてババくさいことも思いました。自分たちの10代、20代のなんとはみ出してワケ分からないことをしていたことか。親子関係も他の人間関係も無茶に腕を振り回し、拳のおさめどころは、腕を振り回しながら作り出していく感じでした。

 

しかし、そんな不器用さこそが、他者の心の機微を理解できる、繊細かつ自分の意思を持つ30代の人間へと押し上げてくれたのだと感じています。その経験を、悪友も私もしてきました。見てきた景色は少し違うかもしれませんが。

 

3人の子の親となってしみじみ解る、悪友のご両親のなんと忍耐強く娘と向き合ったことか。とてもよい披露宴でした。これまでの悪友の列伝が帳消しになり、なおかつそれ以上に愛と希望で満たされるご家族の様子を見て、人間はやり直しができると、感じました。やり直しのできる社会へという標語があるけれど、やり直しとは、周囲の愛があってはじめて可能なのかもしれません。

 

ひとは、人間社会は、優等生ばかりでは、少し味気ないんです。欠点があってこそますますひとが愛おしいのだと、思います。

 

 

(2019年1月21日 みやま さえこ)