技能実習生と難民申請のはざまで、またあれこれ勝手に感じている

先日、私が企業「日本ミャンマー支援機構株式会社」NPO「リンクトゥミャンマー」を運営している神奈川県に住むミャンマー人2名が、外国人収容所に収容されたというニュースが入ってきた。

 

技能実習先から逃げてきたミャンマー人で、法務省入国管理局に、難民認定申請中だった。

 

神奈川県内の工場で働いていたところ、法務省入国管理局職員の工場立ち入り調査で難民認定申請後、6カ月間は就労できないという規則に違反していることが明らかになり、外国人収容所に連れて行かれた。

 

私は、ミャンマー人コミュニティのそばで生きているので、

神奈川県内で、ミャンマー人にどういうことが起こったか、

耳に入ってくる。

 

最近、東京都や神奈川県でよく聞く話は、

「技能実習生が、実習先を逃亡後、難民認定申請を法務省入国管理局に行う。申請後、6カ月間は就労禁止だが、その際に働いているのが入国管理局に見つかって、外国人収容所に収容される」というものだ。

 

法務省入国管理局としては、真の難民が難民申請しているのであれば、

6カ月間は就労しないという日本政府機関が決めた規則を守る(? ←書きながら、この理屈はやはり現実的でも理論的でないと思っているが)という話にもって行きたいのかもしれない。

 

ここで、日本の難民認定制度を以下に記す。

 

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【日本の難民認定制度の概要】

 

難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)及び難民の地位に関する議定書(以下「議定書」という。)が1982年に我が国について発効したことに伴い,難民条約及び議定書の諸規定を国内で実施するため,難民認定制度が整備されました。この制度では,難民である外国人は,難民認定申請を行い,法務大臣から難民であるとの認定を受けることができ,また,難民条約に規定する難民としての保護を受けることができます。

 

本案内でいう「難民」とは,難民条約第1条又は議定書第1条の規定により定義される難民を意味し,それは,人種,宗教,国籍,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないか又はそれを望まない者とされています。

 

難民認定手続とは,外国人がこの難民の地位に該当するかどうかを審査し決定する手続です。

 

法務省「難民認定制度」ウェブサイトより

http://www.immi-moj.go.jp/tetuduki/nanmin/nanmin.html

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「難民認定申請制度」は、日本が難民条約を結んでいることによって、

難民申請者を保護する目的で、同制度が運用されている。

 

一言で言うと、祖国で迫害された人を保護する制度である。

難民認定制度の運用は、難民条約締約国に任されているところがあり、

条約締約国でも、運用方法はさまざまだ。

 

 

今回の出来事は、

「難民認定制度の運用」と「技能実習生制度の運用」がうまくいかず、

入国管理局の規則違反の人間の尊厳を奪う=収容という事態が生じているのである。

 

 

ところで技能実習制度とは、日本に技能を学びにくるという名目で、

日本の人手不足の業界・業種で外国人に働いてもらう制度だ。

 

日本に滞在できる年数は、原則3年間。

人手不足の業界・業種だから、技能実習生は、

だいたい大都市圏ではなく、地方で定住・勤務している。

 

3年間で、地方の肉体労働で最低賃金で稼ぐとしたら、

稼ぐ金額は、手取りトータルで300万円ほど。

しかし、技能実習生として来日するまでに用意せねばならない料金があるので、

それを引くと、230万円から250万円ほどになる。

 

230万円から250万円を3年間で稼ぐために、

彼ら、彼女らは人生をかけて、日本に働きに来る。

 

230万円で、彼らの実家は事足りたのだろうか?

発展途上国出身者が、日本の入国ビザを取得するのは大変なことだ。

230万円を得て満足して、再度来日する機会をまた何年も待ち続けるのか?

 

彼らの実家が、230万円ではまだ足りない、もっと稼がねばならないと

日本に住む彼らに言ったら、どうする?

 

 

技能実習生からすると、3年間の実習期間は短く、

祖国の家族を十分に養いきれない実態がある。

 

発展途上国は物価が低いと思われがちで、実際物価は低いが、

高額な医療、土地、不動産物件、事業資金などなどを得たいと考えると、

つまり「せめて貧困層の生活から中流層の水準までは、のし上がりたい」

と思うと、3年間の技能実習で稼ぐ230万円では、まかないきれないのである。

 

そして、日本には難民認定制度があり、ミャンマーは長く人権侵害国であったため、

ミャンマー人で難民申請する人は多く、よって

 

難民申請する逃亡技能実習生はあとを絶たない。

 

 

拙著「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール」の冒頭第一部第一章タイトルは、

「研修生(技能実習生)は、難民へのパスポート」である。 

 

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「彼らは…(抜粋)1円でも多く稼ぎ、ミャンマーの家族に送金するほうが重要なのです。……逃げた研修生に罪悪感がないわけではありません。心を痛めてでも、稼がねばならない理由があり、より稼げる会社に移りたいだけです」

 

「長期滞在し、比較的高収入を狙える都心部で働くために、研修先から逃げて難民申請をして、3年の期限を延長しようとする人がいることも事実です」

 

ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール 善人過ぎず、したたかに、そして誠実に

第一部 日本人の想像を超える異文化地域とのビジネスの現状より抜粋

 

 

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「技能実習生は日本語ができるようになると実習先から逃げるから、

あまり日本語を教えないで日本に送り出せばよい」

昨今は、こんなことを言う、東南アジアの日本語教育機関の日本人もいるのだ。

 

それくらい、技能実習生の実習先からの逃亡は、送り出し機関、受入れする技能実習先など、関係者の多くが悩む問題になっている。

 

私は、実習先から逃亡した技能実習生を追いかけて、

送り出し機関のミャンマー人が九州から名古屋、東京まで

追いかけている姿を見たことがある。

 

逃亡したミャンマー人の「送り出される前と給与条件が違った」という主張、

「もうけるために同胞を売り物にして日本に技能実習生を送っている」という

送り出し機関のミャンマー人に対する、同胞人からの誹謗中傷、

送り出したミャンマー人による、逃亡者を救わないでほしいという

在日ミャンマー人コミュニティへの働きかけ……

 

さまざまな人々の思惑と技能実習制度の問題が絡んで、

最後は、混乱した状況を眺めるしかないのだ。

 

一方で法務省入国管理局は、技能実習生も留学も難民申請者も扱わねばならないが、

新聞報道などで、本当の難民でない「偽装難民申請者」が多いと出ているから、

難民申請者のうちで、本当に政治的・宗教的理由などで迫害されていない

申請者の数を減らそうと躍起だ。規則違反は厳しく取り締まる。

 

また難民保護を訴える人々は、

1万人以上の難民申請者に対して、難民人定数は数十人だったと

認定数の少なさから、日本は「難民受入れ後進国」と主張する。

難民申請者をきちんと保護すべきだと言う。

 

この主張は当たらずとも遠からずだが、

技能実習生の難民申請に関しては、

問題の円心をついていない。

こうした難民保護活動家の言質は、

今回のケースには当てはまらない。

 

これは、世界の貧困格差によって生じる、日本の移民問題だ。

 

私は外国人管理をする入管が厳しく対応しなければならない現状がわかり、

技能実習生を受け入れた技能実習先の社長や祖国の送り出し機関の苦労がわかり、

貧困格差があるために出稼ぎ目的で来日し、

技能実習先を逃げて長く働きたいミャンマー人の気持ちがわかる。

 

この3者全員と接したことがあるからだ。

 

逃亡したミャンマー人技能実習生を、みな、かばうわけではない。

でも、ミャンマーにいれば、みな、一人前なのである。

祖国の家族は、逃亡した技能実習生を、長く稼いで家族に貢献していると

とても大事にしている。彼らは、日本人とは比較にならないほどの

一家を養う責任と義務を背負っている。

 

先日、東京入国管理局横浜支局の外国人収容所にある面会室で

収容者であるミャンマー人と私たちはガラス越しに面会した。

 

一度も話したことがないミャンマー人でも、

在日ミャンマー人コミュニティの情報から、

彼らは私たちを知っていたり、共通の知り合いがいたりする。

 

彼らはヒゲをそらず、 これからどうしてよいか分からないまま、

呆然として、人生の苦悩を噛み締めて、複数人で過ごしている収容所の様子を語る。

泣きそうになりながら、面会に来た私たちに、感謝する。

 

私の夫は外国人収容所暮らしの経験があるから、

「運動場があるだろ、運動しろ。何かあったら電話しろ。

提供されている日本食の弁当は食えるか? 食事はちゃんとしろ」

と収容者のミャンマー人に言う。

 

最近は各収容棟の収容者がいっせいに会える

機会がなくなったとか(といっても収容所内で)

たわいない話をしながら、彼らの収容所での様子を聴く。

 

「がんばりなさい」

私はそれしか言えない。

 

いつ外に出れるか分からないプレッシャーの中にいて、

かつ、たびたび自殺者が出る外国人収容所にいる人に対して、

他に何を言えるのか。

 

でも、その言葉に含まれる意味を彼らは理解する。

 

人生を掛けて、日本に来たんだろう。

このくらいで、あきらめてどうする。

 

祖国から日本に来る前に結んだ、技能実習先を逃亡しないための

強固な契約書の内容も無視して、祖国の送り出し機関の迷惑も無視して、

技能実習先の社長も裏切って、祖国の家族のために生きてきたんだから。

このくらいの困難で、自分の生きる道を、あきらめてどうするんだ!

 

「技能実習制度は、実習生という名の働き手と、雇い手となる企業や法人が

対等な契約を結べないという弱点がある。本来なら、きちんと働く外国人には

就労のビザが付与されて、更新できるようにしていったほうがよい」

技能実習生を何十人も雇っている、ある会社社長の感想だ。

 

技能実習先を逃亡するのは悪い。

難民申請後の就労禁止期間に就労するのは

入国管理局にとっては規則違反だ。

 

しかし規則違反をたてに、収容という手段で、

人間の尊厳を奪う権利があるのか、と感じてしまうのだ。

 

数年前まで、難民申請後の6カ月間の就労禁止期間に、申請者が就労していても、

見てみぬふりしていたのは、まぎれもなく、法務省入国管理局である。

 

「『その6カ月間に、どうやって食べていけばいいんですか? 

どうやって生活すればいいんですか?』って入管の先生に言ってみろ」

面会時、夫は収容者にそう言った。

 

『入管の先生』とは、外国人収容所の収容者が、入国管理局の職員を呼ぶ際に、

「先生」と呼ばねばならないことを指している。

 

「外国人収容所を出て、会社をつくった。そしてクルーズ旅行をしていると、法務省入国管理局の『先生』たちが、クルーズ船の出国審査で私のパスポートと入管にある記録を見て、『難民ですね。どうしてクルーズ船に乗っているんですか』と驚く。会社を興して通訳などの仕事をしていると言うと、『先生』は私に頭を下げるようになった」

 

「昔は外国人収容所で、『先生』って呼んでいたのにね。今も先生って呼んでやれ」

 

私たち夫婦の笑い話である。

人は、肩書きや職種や身分によって、

同じ人への見方をあっけなく変える。

 

技能実習制度と難民申請の問題は、日本が直面している移民問題の氷山の一角だ。

技能実習制度、就労ビザのあり方、10年住んだら永住権というルール、

そして人手不足であえぐ日本企業の実態……

トータルで検討して、日本社会にとって、よりよい解決策を見出す必要がある。

 

日本における外国人の人口比率を低く保つためには、

3年間で帰国してもらう技能実習制度は、日本社会にとって都合が良い。

ただし、今まで書いてきたような、制度の隙間を縫う問題が出てくる。

技能実習制度を続けるのであれば、こうした制度の隙間から出る問題は

包容しなければならないかもしれない。

 

なぜなら、彼ら技能実習生は、技能を修得するために日本に来たのではないからだ。

研修のために来日したのなら、技能を修得したら帰国する。

技能実習は、研修ではなく、「就労」だ。

就労のために来日したのだから、長く働きたいのは当然だ。

 

戦前から戦後、日本人でペルーやブラジル、ボリビアに出稼ぎに行った人々が、

何世もの時を経て、日本に戻ってきた。

「昔、日本は、日本人すべてを養えるほど豊かではなかった。だけど、いつか自分たちも、ミャンマーが豊かになって、ミャンマーに帰国する次世代が出てくるかもしれない。ミャンマー人移民は、日本人移民のような歴史を辿るかもしれない」

 

逃亡した技能実習生はコミュニティで、こんな話を聴きながら、日本で生活している。いつビザが切れてしまうか、おびえながら、それでも必死で働きながら。

 

(2017年10月17日 みやま さえこ)

 

#技能実習生 #移民問題 #外国人労働者 #ミャンマー


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執筆者プロフィール

 

深山 沙衣子(みやま・さえこ)

 

日本ミャンマー支援機構株式会社(ミャンマー人の夫と共に創設)日本人アドバイザー。

 

1979年東京都生まれ。神奈川県育ち。立教大学文学部心理学科卒業。 横浜中華街に近い高校に通うことで、10代のころから、日本にいる外国人との共生について考えるようになる。20代から東南アジア各国を旅行し、東南アジアと日本をつなぐことに興味を持つ。

 

大学卒業後、マレーシア国営企業子会社の日本支社にてLNG(液化天然ガス)輸入貿易事務に携わる。

リクルートの広告代理店にて求人広告や新聞広告制作に従事したのち、出版社で雑誌の編集記者となる。2010年より本格的にフリーライター、ジャーナリスト活動を開始。

 

2011年、ミャンマー人の難民として日本に来た男性と結婚。自身の執筆活動を通じて、東南アジアで最も未知の国ミャンマーを表現すること、また日本における多文化共生や、多様な価値観の共存をテーマにする。

 

2012年、日本ミャンマー支援機構を起業。ミャンマー人の日本におけるトータルサポート(就職・留学・法的手続き・書類作成・仕事紹介・住居紹介・観光案内)、日本企業や日本の行政機関のミャンマー進出支援及びサービス提供を行う。現在までに、日本・ミャンマー・韓国・シンガポール企業などのサポートにおいて、300社の実績がある。

 

2016年4月下旬、「ミャンマーに学ぶ海外ビジネス40のルール~善人過ぎず、したたかに、そして誠実に~」(発行:合同フォレスト、発売:合同出版)を発表。

 

2017年 特定非営利活動法人リンク トゥ ミャンマーを設立し、理事長に就任する。